ヘテロ芳香族エーテルのコンホメーション

2010年 Organic Letters より、E. J. Corey のグループの報告 [論文]

前回の記事 メトキシ基がエチル基とほぼ同じになるとき でピラジン環など電子求引性のヘテロ環に結合したメトキシ基は、水素結合受容能がなく脂溶性も高くエチル基とほぼ同じ性質になっているという話を紹介しました。ただ、コンホメーションに関してはメトキシ基とエチル基では大きく異なるかもしれません。

Spartan 04 (DFT method, RB3LYP/6-31G* basis set) を使ってのコンホメーション解析。下図上段の2-メトキシピリジンでは、ピリジン環の窒素とメトキシ基の酸素のローンペア反発が大きく効いています。下図中段や下段のようなピリダジンやピリミジン、ピラジン系化合物でも同様に、ヘテロ環の窒素とメトキシ基の酸素のローンペア反発が効いてきます。ちなみに Sharpless の不斉ジヒドロキシ化に用いられる AD-mix の (DHQ)2PHAL や (DHQD)2PHAL でもこのコンホメーション効果の寄与が大きいそうです。


興味深いのは、下図一段目二段目のようにフラン環やチオフェン環ではローンペアの反発が効いてこないところです。この理由としては "possibly because the lone pair at O of furan and that at S of thiophene are held more tightly (i.e., lower-energy nonbonding orbital) than is the case for N of pyridine and related N-heteroaromatic structures." だそうです。下図三段目四段目のようにオキサゾールやチアゾールでも、やはりメトキシ基のローンペアは N と逆であり O や S とは同じ向きが安定配座になっています。つまり、ヘテロ芳香族エーテルに関してローンペア反発は N には効いてくるが O や S には効いてこないということのようです。


ちなみにこの傾向はヘテロ芳香族エーテルだけでなく、他の化合物にも当てはまるらしく、下図上段の2,2'-ビピリジンではローンペア反発が効いてくるのに対して下段の1,2-ジメトキシベンゼンではローンペア反発が効いてこないようです。ちなみに1,2-ジメトキシベンゼンの安定配座にはアノマー効果 (n→σ*) の寄与もあるかも、という雰囲気。


ヘテロ芳香族エーテルのコンホメーション、シンプルながら思ったよりも奥が深そうです。こうした構造を薬の分子に組み込むときにはコンホメーション変化に注意・利用したいですね。(なお、上記の結果含めて論文中のデータはすべて計算のみ。個人的には単結晶の X 線構造解析とか NMR 解析とか実測のデータと併せて議論して欲しかったところですが…)

[関連] ヘテロ芳香族エーテルのコンホメーション [実例] (気ままに創薬化学)
[論文] "Strong Conformational Preferences of Heteroaromatic Ethers and Electron Pair Repulsion" Org. Lett. 2010, 12, 132.

気ままに創薬化学 2010年07月27日 | Comment(0) | 相互作用・配座・等価体

メトキシ基がエチル基とほぼ同じになるとき

有機化学者は官能基が隣接基の影響を強く受けることを知っています。例えば同じカルボニル基でも、アルデヒド、ケトン、カルボン酸、エステル、アミド、ウレア、カーバメートなどでは性質が大きく異なることはよく知られています。しかしながら隣接基がヘテロ環の場合、その性質の変化を適切に考慮できているでしょうか?今回は山上知佐子先生が発見された成果の一部をご紹介します。

種々の置換基をもつピラジン系化合物を丹念に合成し logP を測定した結果、驚くべき結果が判明しました。下図にベンゼン環やピラジン環に置換基が付いた化合物の疎水性置換基定数 π 値がまとめられています。疎水性置換基定数 π 値は構造活性相関 QSAR でよく用いられるパラメータの 1 つで、置換基の疎水性の大きさを表すものです。例えば置換基 X の π 値が +1 の場合、水素原子を X に置き換えると logP が 1 上昇するということです。


まず全体的に見てわかることは、ピラジン化合物の π 値のほとんどが正の値になっているということです。つまりベンゼン誘導体で脂溶性を下げる置換基もピラジン誘導体では脂溶性を上げることが多いということです。個別に比較すると、ピラジンのメトキシ基の π=0.99 はベンゼンのエチル基の π=1.02 にほとんど等しく、また、ピラジン環上のメトキシ基は水素結合受容能がほとんどないことが知られています。つまり、ピラジン環に導入されたメトキシ基はエチル基とほぼ同じ性質という意味であり、これは環窒素の電子求引効果によって酸素原子上の電子密度が減少しているためだとされています。(ちなみにこれらの効果は程度の差はあるものの様々なヘテロ環で見られるようです)

山上先生は 「ベンゼン誘導体の感覚で親水性基と思い込んでいる置換基が pyrazine 環に導入されると疎水基になってしまうということで、このことを知らずに分子設計をしていると、とんでもない方向に構造変換してしまう危険性がある」 と警鐘を鳴らされています。また、「これらの結果が意外に思えるのはひょっとすると元素記号で構造式を表す (考える) 弊害なのでしょうか。O や N に反射的に先入観として持つ性格をあてはめて勝手な思い込みをしているだけで、分子軌道論的な目で見れば初めから結果は見えているのかもしれません」 と創薬化学者にとっても含蓄深い言葉も仰っています。

さて、以前 芳香環に窒素を入れても脂溶性が下がるとは限らない で 『私が思うには「塩基性と一言で単純に言えることではないと思いますが』 と断り書きしましたが、個人的には本記事で紹介した分子軌道論的な効果が大きいのではないかと思っています。(…だとすると、ヘテロ環の電子求引効果と塩基性の関係が気になるところですが、私は知りません。もしご存知の方がいらっしゃったらコメント欄等でお知らせいただけると幸いです。)

[参考] "神戸の片隅のパラメータ研究−logPに教わる分子構造と性質−" SAR NEWS, 2003, 5, 2-5.

気ままに創薬化学 2010年07月13日 | Comment(6) | ADMET・物性・特許

既存薬ライブラリー「薬の図書館」

本日の朝日新聞に 既存薬の新効果見つけよう 慶大や14社「薬の図書館」 という創薬関連の記事がありました。慶応大学と製薬企業が共同で既存薬ライブラリーを立ち上げ、既存薬の別の薬効を探して既存薬自身を新薬にしようという試みのようです。

手法自体は 追跡!AtoZ 「新薬が生まれない」 の動画 でも紹介されていたように新しいものではありませんが、大々的にオープンで行う試みは興味深いと思います。製薬企業だったら見つけた新薬効をもつ化合物をリードに合成展開して、弱い副作用 (side activity) を主作用にする SOSA (Selective optimization of side activities) にも取り組むというところでしょうか。

 医薬品として開発され、安全性を確認済みの薬を、研究者に無料で配布する「薬の図書館(既存薬ライブラリー)」を、慶応大学が製薬会社14社の協力で始めた。研究者が、別の薬効をもつ「新薬」を安上がりに見つけるのが目的だ。宝の山を眠らせずに、新薬が開発できれば、製薬会社にとっても大きなメリットにつながる。
 新薬をゼロから開発するには、化合物の探索から安全性の確認までハードルが多数ある。しかし、製薬会社が安全性を確認した既存薬の化合物から新たな薬効を調べれば、安全性確認など膨大なコストを大幅に省くことができる。 新薬開発では、当初の想定とは違う薬効が偶然見つかる例は少なくない。男性の勃起(ぼっき)障害の治療薬バイアグラ(商品名)は元々、狭心症の治療薬として開発され、男性用発毛剤リアップ(同)は高血圧の治療薬で開発されていた。
 慶大の「既存薬ライブラリー」には、ツムラや協和発酵キリン、ヤクルトなど14社が協力し、すでに1274種類の既存薬が提供された。市販中の薬や特許がまもなく切れる薬、市販されていない薬などが含まれている。
 ライブラリー代表の佐谷秀行慶大医学部教授による予備実験では、降圧剤と抗アレルギー薬として開発されていた化合物が、子宮内膜症など月経困難症の治療薬に使えそうなことが分かり、特許申請された。年内に患者を対象とする臨床研究を始める計画だ。

あと余談ですが、上の記事でも名前があがっている 「ツムラ」 の社名が 「バスクリン」 に変わることが巷で話題になっていますね。漢方薬に関しても 『ツムラ葛根湯』 から 『バスクリン葛根湯』 になったら飲む人が激減しないかなぁと思ったりしていたのですが、新社名「バスクリン」 漢方薬は作らないの? によると、どうやら漢方薬と入浴剤は今では別の会社のようです。『バスクリン葛根湯』 にはならなさそうなのでご安心を。笑

気ままに創薬化学 2010年07月02日 | Comment(5) | コーヒーブレイク