シクロプロピル基の 3 つの効果

2006 年、Merck からの報告 [論文]。ブラジキニン B1 (BK B1) 受容体アンタゴニストの探索で、Merck は過去に下図左のような化合物を見出していましたが、ジアミノピリジン骨格に由来する反応性代謝物が問題となっていました。そこで、ジアミノピリジン骨格を、下図右のシクロプロピルアミノ酸アミド誘導体にするという、大胆な骨格変換を見つけたそうです。カルボニル基がピリジン窒素に対応しているのは一目瞭然ですが、実はこのシクロプロピル基には 3 つの効果があるようなのです。


まず 1 つ目は Thorpe-Ingold 効果。カルボニル炭素- α 炭素の結合の回転に伴う配座が、ジアミノピリジン骨格に近い形になりやすくすることを狙ったものです。2 つ目はカルボニル基との超共役。カルボニル基の π 結合とシクロプロピル環の炭素-炭素結合の間に超共役 (hyperconjugation) が生じてジアミノピリジン骨格に近い配座になるとのことです。これは、シクロプロピル環の炭素-炭素結合の p 性が高まっていることに起因しています。3 つ目は結合角に対する効果。通常の sp3 炭素のジェミナルな置換基の結合角は約 109 度ですが、ひずんだシクロプロピル環のジェミナル置換基の結合角は約 116 度で、ジアミノピリジンの sp2 炭素の結合角である約 120 度に近い角度になっています。

以上、シクロプロピル基の 3 つの効果 (Thorpe-Ingold 効果、カルボニル基との超共役、結合角 116 度) によって、シクロプロピルアミノ酸アミド誘導体がジアミノピリジン骨格を上手くミミックしているようです。シクロプロピル基、なかなか奥が深いですね。

ちなみに、ジアミノピリジン化合物よりもシクロプロピルアミノ酸アミド誘導体の方が動態も良いようです (経口 BA・半減期・クリアランスが改善)。また、論文では、シクロプロピルアミノ酸アミド誘導体に骨格変換した後、側鎖を再び最適化することで、Ki = 1.8 nM の強い阻害活性をもつ化合物を見つけています。さらに、他のターゲットとして Factor Xa のジアミノピリジン化合物も同様にシクロプロピルアミノ酸アミド誘導体に変換したものを合成し、活性を同じ程度に保持することを確認、この骨格変換の一般性を示しています (下図)。


[論文] "Cyclopropylamino Acid Amide as a Pharmacophoric Replacement for 2,3-Diaminopyridine. Application to the Design of Novel Bradykinin B1 Receptor Antagonists" J. Med. Chem., 2006, 49, 1231.

気ままに創薬化学 2011年02月22日 | Comment(0) | 相互作用・配座・等価体

『小さな命が呼ぶとき』 のその後


『小さな命が呼ぶとき』 の動画 [英語] のエンディングで上のような字幕が出ていたことに気づかれたでしょうか?そうです、チラッと 以前 書いたのですが、映画の主人公のジョン・クラウリーは現在もポンぺ病の次世代治療薬の開発に取り組んでいるのです。今回は映画には出てこないその後の話を紹介しましょう。

さて、映画 『小さな命が呼ぶとき』 は、治療薬のない難病のポンペ病の子供を持つ父親ジョン・クラウリーが治療薬を開発する会社を設立して奔走する様が描かれた作品です。そもそもポンぺ病は、遺伝的要因により、グリコーゲンを分解する酵素である酸性 α-グルコシダーゼ活性が不足あるいは欠損することで、ライソゾーム中にグリコーゲンが蓄積し、筋肉や呼吸の機能低下を招く希少疾病です。ながく治療薬がありませんでしたが、ジョンらの努力により酵素補充療法の マイオザイム がジェンザイム社から発売されるに至りました (米国・EU では 2006年 承認、日本では 2007 年承認)。酵素活性が足りないならば酵素を補充してやればいいというわけです。このマイオザイム発売までの経緯を (ある程度) 実話に基づいて映画化したのが 『小さな命が呼ぶとき』 なのです。

これで 「めでたし、めでたし」 というわけではありません。酵素補充療法の開発は間違いなくひとつのブレークスルーですが、いくつか問題点も残しています。それは、治療コストが高いこと、投与方法が点滴静注であること、中枢移行性がないこと、などです。例えばマイオザイムは 50mg のバイアル 1 本 9 万 3994 円、体重 1kg 当たり 20mg を隔週投与する必要があります。公費助成があるものの薬剤費は膨大で、また隔週で通院して 1 回 4 時間程度の点滴静注を生涯継続しなければならないという点も負担になる可能性があります。

ポンぺ病を低分子化合物で治療できないか?ジョン・クラウリーは現在、Amicus 社の CEO として低分子シャペロンの開発に取り組んでいます。低分子シャペロン (あるいは Pharmacological Chaperone とも呼ばれる) というのはタンパク質の立体構造を安定化する低分子化合物のことで、遺伝的要因によって減弱した酵素の活性を回復させることによる治療を目指すものです。Amicus 社は低分子シャペロンに特化した会社で、他にも同じ分野に特化した会社として 2010 年に Pfizer 社が買収した FoldRX などがあります。

Amicus 社は現在 3 つの臨床試験中の化合物があり、そのうちの 1 つ AT2220 がポンぺ病を適応症として開発されています。ポンぺ病は先に述べたように、遺伝的要因によりグリコーゲンを分解する酵素 (酸性 α-グルコシダーゼ) の活性が減弱することによる疾病ですが、AT2220 はこの酵素の低分子シャペロンです。


ポンペ病の子供をもつジョン・クラウリーはポンペ病の治療法としてすでに酵素補充療法を世に送り出し、さらに現在、次世代治療薬として低分子シャペロンの開発に携わっています。彼のポンペ病治療薬の開発にかける想いは計り知れません。そう言えば 『小さな命が呼ぶとき』 を見た創薬化学者の M 先輩はこんなことをつぶやいてました、「僕たちに最も必要なのは本当は情熱かもしれないね」。

気ままに創薬化学 2011年02月16日 | Comment(1) | コーヒーブレイク

2011年1月発刊の創薬関連書籍

医薬品業界 新薬戦略・激変地図 サムライ化学者、高峰博士 (時鐘舎新書) Accounts in Drug Discovery: Case Studies in Medicinal Chemistry (Rsc Drug Discovery) Small-molecule Inhibitors of Protein-protein Interactions (Current Topics in Microbiology and Immunology)

今回、個人的に気になったのは Accounts in Drug Discovery: Case Studies in Medicinal Chemistry。内容は "Accounts in Drug Discovery describes recent case studies in medicinal chemistry with a particular emphasis on how the inevitable problems that arise during any project can be surmounted or overcome." だそうです。まだ手元に届いていませんが、注文してみました。おもしろい事が書いてあればまたこのブログで紹介したいと思います。

和書
医薬品業界 新薬戦略・激変地図
サムライ化学者、高峰博士

洋書 (一般)
Accounts in Drug Discovery: Case Studies in Medicinal Chemistry
Review of Organic Functional Groups: Introduction to Organic Medicinal Chemistry
Three dimensional QSAR: Applications in Pharmacology and Toxicology
Small-molecule Inhibitors of Protein-protein Interactions
Protein Surface Recognition: Approaches for Drug Discovery
Drug Stereochemistry: Analytical Methods and Pharmacology, Third Edition
Pharmaco-complexity: Non-linear Phenomena and Drug Product Development
Chemical Engineering in the Pharmaceutical Industry: R&D to Manufacturing
Potential Candidates for Drug Designing
Development and Application of Biomarkers
High-Pressure Crystallography: From Fundamental Phenomena to Technological Applications
Genomics, Proteomics, and the Nervous System

洋書 (標的別・疾患別)
Novel Targeted Drugs for the Treatment of Lymphoma: The Biological Basis for Innovative Drug Discovery and Development
Neurodegenerative Diseases
Primary Central Nervous System Tumors: Pathogenesis and Therapy
Chemistry of Opioids
Antimicrobial Peptides: Discovery, Design and Novel Therapeutic Strategies
Bortezomib in the Treatment of Multiple Myeloma

気ままに創薬化学 2011年02月03日 | Comment(0) | 月別創薬関連書籍

新しい脱酸素的フッ素化試薬


水酸基をフルオロ基に、カルボニル基をジフルオロ基に、といった脱酸素的フッ素化反応 (deoxofluorination)。現在最も広く使われている脱酸素的フッ素化試薬は DAST や DeoxoFluor かと思います。しかしながらこれらの試薬は液体で、水分や熱で分解しやすく、腐食性や爆発性があるという問題点がありました。これらの問題を解決すべく、2010 年に新しい脱酸素的フッ素化試薬が報告され、それらが市販されました。上図右の XtalFluor と FluoLead。

XtalFluor と FluoLead の特徴を以下に簡単にまとめてみました。個人的な印象としては FluoLead の CO2H → CF3、OH → OC(=S)SMe → OCF3 の変換が可能なあたりが魅力的な感じです。興味を持たれた方は、具体的な反応例や操作なども含めて論文をご参照ください。

XtalFluor
[利点] 固体で取り扱いやすく、DAST や DeoxoFluor に比べて安定性も高まっている。
[利点] DAST や DeoxoFluor に比べて脱離反応とフッ素化反応の比が良い傾向。
[欠点] DBU, Et3N・3HF, Et3N・2HF などの促進剤の添加が必要。
[入手] Aldrich などで購入可能、-E: 14500円/5g、-M: 24000円/5g。
[論文] J. Org. Chem., 2010, 75, 3401.

FluoLead
[利点] 固体で取り扱いやすく、DAST や DeoxoFluor に比べて安定性も高まっている。
[利点] 吸湿分解しにくい (グラフィカルアブストラクトは試薬を水に浮かべる写真)
[利点] DAST や DeoxoFluor、XtalFluor に比べて脱離反応とフッ素化反応の比が良い傾向。
[利点] CO2H → CF3、OH → OC(=S)SMe → OCF3 も可能。Supporting Info にも反応例あり。
[入手] TCI などで購入可能、21900円/5g。
[論文] J. Am. Chem. Soc., 2010, 132, 18199.

ちなみに従来試薬のお値段は DAST が 12000円/5g、DeoxoFluor が 11400円/5g なので、新試薬もそれほど値段は高くない気がします。脱酸素的フッ素化をやる機会があれば試してみてはいかがでしょうか。

[関連1] フェノール類のフッ素化試薬 PhenoFluor 発売 (気ままに創薬化学)
[関連2] 芳香族フルオロ/トリフルオロメチル化反応 (気ままに創薬化学)

気ままに創薬化学 2011年02月01日 | Comment(2) | 合成化学