メトキシ基がエチル基とほぼ同じになるとき

有機化学者は官能基が隣接基の影響を強く受けることを知っています。例えば同じカルボニル基でも、アルデヒド、ケトン、カルボン酸、エステル、アミド、ウレア、カーバメートなどでは性質が大きく異なることはよく知られています。しかしながら隣接基がヘテロ環の場合、その性質の変化を適切に考慮できているでしょうか?今回は山上知佐子先生が発見された成果の一部をご紹介します。

種々の置換基をもつピラジン系化合物を丹念に合成し logP を測定した結果、驚くべき結果が判明しました。下図にベンゼン環やピラジン環に置換基が付いた化合物の疎水性置換基定数 π 値がまとめられています。疎水性置換基定数 π 値は構造活性相関 QSAR でよく用いられるパラメータの 1 つで、置換基の疎水性の大きさを表すものです。例えば置換基 X の π 値が +1 の場合、水素原子を X に置き換えると logP が 1 上昇するということです。


まず全体的に見てわかることは、ピラジン化合物の π 値のほとんどが正の値になっているということです。つまりベンゼン誘導体で脂溶性を下げる置換基もピラジン誘導体では脂溶性を上げることが多いということです。個別に比較すると、ピラジンのメトキシ基の π=0.99 はベンゼンのエチル基の π=1.02 にほとんど等しく、また、ピラジン環上のメトキシ基は水素結合受容能がほとんどないことが知られています。つまり、ピラジン環に導入されたメトキシ基はエチル基とほぼ同じ性質という意味であり、これは環窒素の電子求引効果によって酸素原子上の電子密度が減少しているためだとされています。(ちなみにこれらの効果は程度の差はあるものの様々なヘテロ環で見られるようです)

山上先生は 「ベンゼン誘導体の感覚で親水性基と思い込んでいる置換基が pyrazine 環に導入されると疎水基になってしまうということで、このことを知らずに分子設計をしていると、とんでもない方向に構造変換してしまう危険性がある」 と警鐘を鳴らされています。また、「これらの結果が意外に思えるのはひょっとすると元素記号で構造式を表す (考える) 弊害なのでしょうか。O や N に反射的に先入観として持つ性格をあてはめて勝手な思い込みをしているだけで、分子軌道論的な目で見れば初めから結果は見えているのかもしれません」 と創薬化学者にとっても含蓄深い言葉も仰っています。

さて、以前 芳香環に窒素を入れても脂溶性が下がるとは限らない で 『私が思うには「塩基性と一言で単純に言えることではないと思いますが』 と断り書きしましたが、個人的には本記事で紹介した分子軌道論的な効果が大きいのではないかと思っています。(…だとすると、ヘテロ環の電子求引効果と塩基性の関係が気になるところですが、私は知りません。もしご存知の方がいらっしゃったらコメント欄等でお知らせいただけると幸いです。)

[参考] "神戸の片隅のパラメータ研究−logPに教わる分子構造と性質−" SAR NEWS, 2003, 5, 2-5.


気ままに創薬化学 2010年07月13日 | Comment(6) | ADMET・物性・特許
この記事へのコメント
なるほど面白いですね。

「予想外に」ってのが面白いですよね。
僕の知っている「予想外」の例としてはオキシム(アルコキシイミン)が「予想外」に高い脂溶性なんですが、いかがでしょうか?

アルコキシのピラジンに関しては、前管理人さんがおっしゃっていた双極子モーメントで考えると、、、双極子モーメントも小さくなっているのでしょうね。
双極子モーメントは非常に良い概念な気がします。

少しの疑問としては、山上先生はlogPとおっしゃっているので、logDをとってみると、プロトン化された場合さすがに脂溶性は低くなると思うのですが。
それでもエチルと変わらない可能性がありますかね。
Posted by かかりちょー at 2010年07月18日 11:44
> かかりちょー さん
お返事遅くなりました。オキシムが予想外に高い脂溶性というのは知りませんでした。今度、既知化合物や社内化合物等見てみようと思います。情報ありがとうございます!

双極子モーメントについてはわかりませんが、例えばメトキシ基の場合、酸素原子分とメチル基分の脂溶性が付与されることになりますので、どの化合物の双極子モーメントを比較すれば議論できるのかは難しいところかと思います。あとlogDの件ですが、上で書きましたがメトキシ基の水素結合受容能はほとんどなくなっていますので、そもそもプロトン化されないかと思います。
Posted by 気ままに創薬化学 (管理人) at 2010年07月28日 00:37
予想外に低い脂溶性の方が良かったかもしれませんが、ちょっと身近でなかったもので・・・

調べていただいて面白い結果があれば教えてください。公開できる範囲でお願いします。
Posted by かかりちょー at 2010年07月29日 22:37
はじめまして。いつも楽しく拝見しております。

非常に分かりやすく勉強になります。

脂溶性とBBBの関係について質問があります。

domperidone(cas:57808-66-9)とmetoclopramide(cas:364-62-5)についてです。

両者は同様の作用を示すのですが、構造が全く異なり、特に脂溶性は大きく異なっています(SPARCのlogD計算、生体内pHを比べた場合)。特にmetoclopramideは予想外に水溶性を示していました。

しかしながらdomperidoneはBBBが通過し難く、metoclopramideは通過し易いと言われています(インタビューフォーム上)。これはlogD計算と矛盾していると感じています。

また、TPSAは両者とも60前後(PubChem参照)とBBB通過可能な値でした。

全て机上の話となってしまっていますが、これら矛盾を説明する何かポイントはありますでしょうか?

当方BBB通過のポイントは、logPが1-4程度、TPSAが90Å以下、MWが500程度までと思っております。

宜しくお願い申し上げます。
Posted by 新米薬剤師 at 2010年08月19日 18:02
> 新米薬剤師 さん
海外出張に出かけておりましてお返事遅くなりました、申し訳ありません。さて、BBB通過の件ですが、私の非常に浅薄な知識と経験では以下の3点が気になりました。
(1) logP が上がるほどBBB透過性が上がるとは限らない
(2) 分子量の影響が大きいのでは?
(3) トランスポーターの影響は?

(1) に関しては、低い logP では確かに logP が大きくなるほどBBB透過性も上がる傾向にありますが、その傾向は logP が 2〜3 で頭打ちになると言われています。原著は失念しましたが、確か "Lipophilicity in drug discovery" という論文の中でも原著への引用と共に記されていたと思いますので、もし論文が見れる環境でしたら一度ご覧ください。

(2)(3) に関して。では logP 以外のどういった要素がBBB透過性に影響するのかについてですが、一般的な膜透過性への影響因子に加えて、水素結合ドナーの影響や分子量の影響が大きいと言われていますし、排出あるいは取り込みトランスポーターの影響もあるかもしれません。このうち、上述の2化合物では分子量がかなり違いますし(もちろん一般的に分子量が小さい方が中枢移行性は高い)、もし仰ってるBBB通過性というのがBrain/Plasma比や見かけの透過速度なのでしたら排出あるいは取り込みトランスポーターの影響を受けている可能性はあるかと思います。

以上、私の思いついたことをつらつらと書いてみましたが、他のファクターなどもあるかもしれませんので是非色んな方に聞いてみてください(もし他に面白い考えがあれば教えてください)。
Posted by 気ままに創薬化学 (管理人) at 2010年08月30日 02:48
早速のご回答ありがとうございます。

logPが3程度で頭打ちになることは初耳でした。早速文献手配をしてみたいと思います。

Brain/Plasma比に関してですが、最近の文献ではPETを用いて良く議論されていると思います。Brain/Plasma比とLogD(pH=7.4)などの相関を求めることはBBB通過性の一つの指標と成り得ますでしょうか??

トランスポーターの件ですが、DomperidoneではP糖タンパクが関与していると聞いたことはあるのですが・・・こちらも検討してみます。
Posted by 新米薬剤師 at 2010年09月02日 00:19
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